仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 漱石を読んだ3

というわけで、3冊目は、『坊っちゃん』。
前出『うらなり』を読み終えて矢も楯もたまらぬ気持ちになったものの、『坊っちゃん』は持ってないよなあと本棚を探したら、あった! ちくま日本文学全集の「夏目漱石」の巻(筑摩書房・1992年発行)。
坊っちゃん』を最初に読んだのは小学6年で、このちくま全集を買って読んだのはそのウン年後。初読のインパクトは強烈でしたが、再読時の印象はまったく覚えていないなあ。たぶん子供向け寓話と馬鹿にして読み流したのでしょう。その誤解を塗り替えてくれただけでも『うらなり』には感謝しなきゃ。
ちなみに、小林信彦氏が『坊っちゃん』を読んだのも〈小学校六年生……正確にいえば、小学校ではなく、国民学校〉だったそうで、くわえて『うらなり』「創作ノート」によれば、故大岡昇平も小学6年生だったと書き残しているそうです。
坊っちゃん』は、相変わらず痛快。ですが、今回気づいたのは、お坊さんを喩えに出す場面が多いこと。必ずしも良い意味ばかりでないのがなんとも残念。以下は仏教のからむ一節の抜粋です。(上掲のちくま日本文学全集より)

  • おれと同じ数学の教師に堀田というのが居た。これは逞しい毬栗坊主で、叡山の悪僧と云うべき面構である。
  • 喧嘩はしても山嵐の方が遥かに趣がある。おやじの葬式の時に小日向の養源寺の座敷にかかっていた懸物はこの顔によく似ている。坊主に聞いてみたら韋駄天と云う怪物だそうだ。
  • 天麩羅蕎麦を食っちゃならない、団子を食っちゃならない、それで下宿に居て芋ばかり食って黄色くなっていろなんて、教育者はつらいものだ。禅宗坊主だって、これよりは口に栄耀をさせているだろう。
  • 会場にはいると、回向院の相撲か本門寺の御会式のように幾流となく長い旗を所々に植え付けた上に、世界万国の国旗をことごとく借りて来たくらい、縄から縄、網から網へ渡しかけて、大きな空が、いつになく賑やかに見える。
  • つまり新聞屋にかかれた事は、うそにせよ、本当にせよ、つまりどうする事も出来ないものだ。あきらめるより外に仕方がないと、坊主の説教じみた説諭を加えた。
  • 死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。

(この項おわり)