仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 旧かなづかひ

当ブログは仏教がテーマだというのに、「仏教書の書評はしない」というシバリをみずから課しております。窮屈この上ないのですが、いろいろ深謀遠慮がありまして……。
私が手にとる本の9割方は仏教書。その隙をついて残り1割に当たったラッキーな書籍は、こうして話題にせずにはいられません。

  • 『旧かなづかひで書く日本語』
     萩野貞樹=著 幻冬舎新書(07年7月刊)

正直言って私は、著者が言う〈みんなで一緒に旧かなをおぼえて使ひませう〉という主旨にはどうも賛同できません。むしろどこか気取った匂いを感じてしまって。でも、著者の主張自体は一貫してぶれず、勢いがあって引きこまれます。
読み進めて初めて気づいたのですけど、著者はけっして昔の文語体に戻れと言うのではない。現代の口語を歴史的仮名遣いで記せというわけです。屈折しているなあという声を見越してか、現代語にだって文語が生きているじゃないかという例証が続きます。
〈「例えば」は、文語たとふの未然形。口語たとえるの仮定形なら「例えれば」〉
他にも、「証明せよ」「するなかれ」「命ず」「馬肥ゆる」「さもありなん」……。だから、
〈文語と現代口語を分けることなどといふことはできない(略)ならば「現代仮名遣い」といふものはありえない、あってはならない(略)だから旧かなで統一した方がよいといふことです。〉
ああそうか。ん?ちょっとまてよ。うーん。しばらく考えさせてください。
本書の記述で、ぜひメモしておきたいと思ったのは、旧かな遣いの誤記例。いわば、思いこみの勇み足。これは「みつともない」。

 正 ◎   誤 ×   補 足 
食うて 食ふて ※終止形食ふ+てではなく、連用形食ひ+てのウ音便。
同様に◎会うて、買うて、洗うて、祝うて、歌うて、思うて
かをり かほり  
しわ しは (皺)
どうする どふ…、だう…  
もう終わった まう…  
つい言いそびれ つひ…、つゐ…  
じわりと ぢわりと、じはりと  
教へやうはある 教へよう  
しっかり教へよう 教へやう  
如何にいます父母 …ゐます… ※尊敬動詞
いらつしやる ゐらつしやる ※尊敬動詞
ございます ござゐます ※イ音便
あるいは あるひは  

(《微妙な例△》くわゐ、くぢら、どぢやう、づうづうしい、あわ、うるはしい、おめく、やをら、つくゑ)
で、なぜそう書くのかというと、
〈「居る」。これが「いる」ではなく「ゐる」である理由として最も正確な答えは、
  昔から「ゐる」と書いてきたから
 となります。まさに歴史的仮名遣とはさういうものです。〉
だそうです。なるほど。
……と、こうして書き写していて思い至りました。本書の主張には反発しにくいんですけど、堂々と言えることが一つある。それは、旧かなというのは、我々がすでに慣れ親しんだコンピュータ入力とおそろしく相性が悪いこと。
かな文字だけならまだしも、辞書機能にまったく対応していないため、送り仮名がダメ。「教へる」と打つには、まず「おしへる」と入力して誤変換していまい、全部消して今度は「おしえる」と打って変換、次にカーソルを動かして「え」を消して「へ」と訂正しなければならない。
これじゃあ〈一緒におぼえて使ひませう〉は却下ですわ。