仏報ウォッチリスト

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 「藤戸」の成仏

立て続けにお能を見に行きました。6日に「屋島」、9日に「藤戸」。三日にあげず国立能楽堂に通っています。
演目はどちらも平家物語に取材したもの。屋島も藤戸も地名です。
屋島」は、合戦の海上で源義経が取り落とした弓を必死で拾い上げるエピソードが中心。これが武士の誉れを表すというのはピンと来ませんでしたが、義経の亡霊の語りをじっと受け止める僧の役割はよく分かりました。
「藤戸」は、佐々木盛綱が口封じで漁師を殺したため、その母親が恨み言をぶつけるも、追善法要で本人の亡霊は成仏するというお話。管絃講(かげんこう)という弔いで読誦されるのは大般若経です。
さて、お能鑑賞はまだまだ駆け出しです。初鑑賞のときは何の知識も持たず飛び込んで疑問符だけの屈辱を味わい、次こそはと謡曲を熟読して望んだらかえって詞章を追うだけで何の感興も起こらず、という両極端を経験したうえで今回は、どのくらいの距離を保てばよいか手探りの最中。
なわけで舞台評めいたことはここに書けませんが、せめて同公演のパンフレットから、なるほどと思った文章を書き抜いておきます。

……怨霊は一転して成仏してしまいます。現代ではこの結末を生ぬるいと感ずる人も多いようですが(中略)勝つも負けるも所詮は一時のこと。源氏も平氏も、もちろん盛綱も、やがてはかなく消えてゆくのです。宗教とは、こうしたはかない人間存在を相対化するもの。「藤戸」の漁師が成仏するのは、人間そのものをより高次から突き放して描く、演劇的視点による必然なのです。――「藤戸」鑑賞の手引き(村上湛)