仏報ウォッチリスト

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 熊野を見なかった

先日、歌舞伎座へ『熊野』(ゆや)を見ようと出向きました。今月は能楽堂へ行けなかったため、せめてお能に由来するこの舞踊が見られればと。けれど一幕見はすでに満員札止めで入場できず。さすがに楽日間際の開演10分前に到着では無理ですわ。
というわけで今、謡曲を読んでまだ見ぬ舞台を想像しています。自分の覚え書きとして日本古典文学全集(小学館)の「謡曲集一」から引き写すと、主題は〈病に臥す母の身を気づかいつつ、主君宗盛の命によって花見の宴に同行して舞を舞う熊野に焦点をあてて、表面のはなやかさの下で愁いに沈む女の姿を浮彫りにする〉。
花見の舞台は清水寺地謡の詞章には「せいすいじ」とルビ。〈名も清き、水のまにまに尋(と)め来れば/川は音羽の山桜/東路とても東山……〉という順に、清水寺(寺号)→音羽山(山号)→東山(所在地)と言葉が連なって、熊野の思いは自然と東国の母親に向きます。
地謡の〈げにのどかなる東山〉に対し、熊野は〈観音も同座あり、闡提救世(せんだいぐせ)の、方便あらたに、たらちねを守り給へや〉。
宗盛は熊野の和歌〈いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東(あづま)の花や散るらん〉に納得して暇を許します。熊野は〈あらうれしや尊(たふと)やな、これ観音の御利生なり〉。よかったね。