仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 3のつく交響曲

そんなわけで商売あがったりです。なかばヤケで、以下まったくのヒマネタ。適当に受け流してください。
3の倍数と3がつく数字の時なんとかとかかんとか、ってインパクト絶大だと思います。もう並んだ数字がまともに見られないですもの。
仏教で数字と言えば、増支部経典とか、法蔵菩薩四十八願とか、善財童子の求道遍歴とか……いや、いかんいかん。聖典をもてあそんではいけません。
そんな邪見を振り払おうと、いま千年紀で盛り上がる源氏物語に視点を切り替えてみる。全54帖から3の倍数と3がつく巻を抜き出して……と思ってはみたものの、あらためて考えてみると源氏の各帖をあんまり数字では呼ばないんですね。ためしに順番で並べますと第3帖「空蝉」、第6帖「末摘花」、第9帖「葵」、第12帖「須磨」、第13帖「明石」、おお、何か新鮮なつながりが見えてきそう、なのですが……なんとも残念。
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こうなったら(もう後には引けない)周囲をぐるっと見渡して、そうだ、「3の倍数と3がつく数字」の交響曲ってのはどう?
交響曲第3番
で最も有名なのは、ベートーヴェンエロイカ。この曲を献呈するはずだったナポレオンが皇帝に即位したため《アホ》かと見限ったエピソードで知られます。
マーラーの3番はあまりに長大なのが《アホ》っぽい。長いわりに冒頭がすべての感も。冒頭がイイといえばシューマンの3番、いま「N響アワー」のオープニングテーマに使われています。
同じく冒頭が印象的なのはブラームスの3番。この曲の紹介には決まって「映画『さよならをもう一度』の挿入曲として有名」と言われるのですが、この映画ってお目にかかれる機会はまずありません。調べると61年のアメリカ映画、原作がサガンの「ブラームスはお好き」なのであながち的外れではないものの、引き合いに出すには馴染み具合が逆では? 昔のライナーノーツをそのまま引き写しているからこういう《アホ》をやらかしてしまうのでしょう。
交響曲第6番
というと、巨大な5番と7番との間に挟まれた地味な曲というパターンが多いですね。ブルックナーも、ショスタコーヴィチも、ベートーヴェンもそう。マーラーは地味ではないけどハンマーが楽器として使われるなど《アホ》度は高い。これが「悲劇的」、チャイコフスキーの6番は「悲愴」。
で、極め付きはシベリウスの6番。古い資料からの引用で恐縮ですが、〈この曲はあまりにも地味で洗練されているため(中略)わが国の定期で演奏されたのは、現在までにわずか三回〉(『CD名曲名盤100交響曲音楽之友社94年刊)だとか。
あえて6番好きを標榜して、《アホ》を装ってみるのも一興。
交響曲第9番
みんな9番を書くと死んでゆく。ベートーヴェンシューベルトブルックナードヴォルザーク。9番の呪いに恐れをなしたマーラーは、9番目の作品にあえて番号をふらず「大地の歌」と名付けた。発表して、なんだ大丈夫じゃんと安心し、あらためて次作を9番として完成させたところ、あっけなく死んでしまったとさ。
交響曲第12、13、15番
呪いのせいでここからは作品がぐっと減ります。10番台前半はショスタコーヴィチ。12番が革命を称える通称「1917年」、13番は歌詞の改変が取りざたされる「バビ・ヤール」、15番ではウィリアムテル序曲などの引用。一筋縄でゆかず、どこまで本気なのかいぶかしい作品群、《アホ》とまでは言いませんけど。ちなみに1917は3の倍数です。
交響曲第30〜39番
30番台と言えばモーツァルト。どれか1点と言われたら、受け売りですみませんが、36番「リンツ」を。『世界最高のクラシック』(許光俊著、光文社新書)がワルター/コロンビア交響楽団の盤をベタ褒めしています。軽やかで美しい。理屈抜きに《アホ》になって聴きたい曲。
交響曲第96番
こんな数まで交響曲を作ったのはハイドンだけ。96番は通称「奇蹟」と呼ばれ、これは〈初演時に、会場のシャンデリアが天井から落下したにも関わらず誰も怪我をしなかった、という出来事に由来〉(Wikipediaより)という。しかもこのエピソードは〈近年の研究の結果、どうやらこれは交響曲第96番ではなく、102番であるらしい〉(同)。曲の標題なんてしょせん旋律とは関係なくこの程度。ああ《アホ》らし、というオチです。あ、もちろん102も3の倍数ね。