仏報ウォッチリスト

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 安達原を見た

国立能楽堂で定例公演「安達原(あだちがはら)」を見ました。流派によってはまたの名を「黒塚」。陸奥の安達原に住む鬼女の物語。旅中の阿闍梨祐慶たちが世話になった宿の寝室には死骸の山、逃げる一行を女主人が鬼の形相で追いかけて……。
力点としてはそのクライマックスの、五大尊明王に祈って鬼神を退治する段になりましょうが、味わい深いのはだんぜん前半。親切な女主人との語らいのなかで、世の無常を嘆く場面がしっとりと響きます。詞章を書き抜きますと、

シテ:あさましや人界に生(しょう)を受けながら、かかる憂き世に明け暮らし、身を苦しむる悲しさよ
ワキ:はかなの人の言の葉や、まづ生身(しょうじん)を助けてこそ、仏心(ぶっしん)を願う便りもあれ
地謡:かかる憂き世にながらへて、明け暮れ暇なき身なりとも、心だにまことの道にかなひなば、祈らずとてもつひになど、仏果(ぶっか)の縁とならざらん

「まことの道にかなひなば…」の出典として、資料には〈心だにまことの道にかなひなば祈らずとても神やまもらむ(『謡言粗志』には「金玉集ニ菅家筑紫ニテ読給へル歌也」と記す)〉とあります。菅家つまり菅原道真の作と伝えられる歌です。

地謡:ただこれ地水火風の仮にしばらくもまとはりて、生死に輪廻し五道六道に廻る事、ただ一心(いっしん)の迷ひなり。およそ人間の、徒(あだ)なる事を案ずるに、人さらに若き事なし、つひには老いとなるものを、かほどはかなき夢の世を、などや厭はざる我ながら、徒なる心こそ恨みても、かひなかりけれ