仏報ウォッチリスト

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 紅葉狩を見た

歌舞伎座で「八月納涼大歌舞伎」第三部を見てきました。2つの演し物のうち、おおかたのお目当ては『野田版愛陀姫』でしょうが、これが思いのほかつまらない。なので見出しにするのを遠慮しました。
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『紅葉狩(もみじがり)』はもともと室町時代の観世小次郎信光の作とされるお能で、これを明治時代に河竹黙阿弥らが歌舞伎舞踊に移しました。平維茂(これもち)が戸隠山の鬼女を退治する筋は同じ。
謡曲の詞章をもとに原作と比較すると、改作の意図は明白です。質素な能舞台に対し、背景一面に鮮やかな紅葉が描かれ、演奏は長唄常磐津・竹本が賑やかに掛け合いをする。それと、シテだけが舞う能と違って、歌舞伎では侍女や従者にも舞踊の見せ場が作られています。コアなファンを最も喜ばせたのはきっと鶴松さんが踊る場面でしょう。
能では「このあたりに住む女」とだけ名乗るシテ(実は鬼女)が、歌舞伎では更科姫という名を与えられています。名前と言えば、鬼女を討つ刀が、能のアイ狂言には「御佩刀(おんばかせ)」と記されるだけなのが、歌舞伎ではこれぞ名刀小烏丸(こがらすまる)と言われています。つまり、鬼女を討ち取ったのは、必ずしも維茂が強かったからではなく、名刀の威徳なわけです。人間の実力ではしょせん鬼女には勝てないってことでしょうか。
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さて、『野田版愛陀姫(あいだひめ)』。オペラ「アイーダ」の翻案で、古代エジプトの話を戦国時代に持ってきて、それを歌舞伎役者が演じて、「で何?」って感じでした。歌舞伎の文法というかお約束を逸脱して説明調のモノローグで進行し、オペラなのに歌も生演奏もない。
七之助さんが主人公をいじらしく好演。妙に野田版と相性の良い福助さんが今回も生き生きしている。印象に残ったのはそのくらい。準備段階で一体何かあったのかと心配にさえなります。