仏報ウォッチリスト

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 「盛久」を見た

先日、国立能楽堂お能「盛久(もりひさ)」を見ました。
源氏方に捕らえられた平家の家人が、処刑寸前に観音に祈って助かったという話。普門品の〈或遭王難苦/臨刑欲寿終/念彼観音力/刀尋段段壊〉を地で行く観音霊験譚です。
面白いのは、詞章に「一遍の念仏」「西に向ひて」「称念の声」「不取正覚」など、浄土教由来と思われる言葉が散見すること。これについて参考書(新潮日本古典集成『謡曲集』下)では、釈迦・阿弥陀・観音が同一体であると諸書が説くのに基づく、と解説しています。
さて、霊験あらたか、めでたしめでたし、と受けとめればそれでよいのでしょうが、救済の構造にちょっと引っかかるところがありました。考えあぐねてしまうのは、主人公盛久の罪状がよく分からないからです。つまり、対立する敵方としてしょっぴかれたのに観音の利益で命が助かった、それは冤罪が明らかになったことを意味するのか、それとも相応の罪がありながらそれを帳消しにする力を得た、ということなのでしょうか。
さらに言うと、処刑場に着いた盛久はすでに覚悟ができていて、「命は惜しまず」「全く命の為にこの文(観音経)を誦するにあらず」とつぶやいている。なのに死刑をまぬがれしまうのは、思いと裏腹の結果がもたらされたことになりませんでしょうか。そうなるとこの独白が単なる強がりに成り下がってしまう気がします。
まあ、あんまりうがった見方をせず、祝宴となるハッピーエンドを素直に喜んでおきましょうか。