仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 「本願が上った」

別のところへ載せる都合があって手で入力した引用文を、ついでなのでここにも貼り付けておきます。
鈴木大拙師に秘書の岡村美穂子さんが質問する場面で、語り手は岡村さん。よく知られたエピソードかと思いますが、新たな聞き書き記事から。

「何しろ、先生のお身体が心配でした。(『教行信証』の英訳作業を)お止めするわけにもいかないし、傍らで見ているしかなかったのです。
浄土真宗の経典ですから、『本願』という言葉が何度も出てきますでしょう。先生はこの『本願』を "Original Prayer" とお訳しになっていましたけれども、私にはどういう意味かよくわかりませんでした。
それで、ある朝先生に聞いたんです。
ちょうど窓に向かって洗面所で洗顔なさっていた時でした。
『先生、「本願」って一体どういう意味なんですか』って。先生は『本願、そうだなあ』と考えておられました。すると、ちょうどその時、偶然にか、窓の向こうに朝日が昇ってきたのです。先生はおっしゃいました。
『ほーら、美穂子さん、本願が上ってきたぞ』とね」
  ――石井妙子「忘れえぬ女たち」(文藝春秋『本の話』8月号所収)



さて、ここからは余談。
私は当誌をこの号だけ単体で入手しました。ですから前月号を持っていません。次月号を読める保障もありません。
このお話は連載らしい。ところが、タイトル部分のレイアウト処理がまずいせいで、この連載がどういう形態なのか見当がつかないのです。
タイトル群は本文に先立って半ページくらいの面積に整然と並んでいます。文字が大きい順に書き出すと、

  1. 忘れえぬ女(ひと)たち
  2. 岡村美穂子
  3. 石井妙子(ノンフィクション作家)
  4. (6)九十歳の大拙の日常
  5. 昭和史玉手箱
  6. 1961年インド エローラ石窟寺院にて

この6つの要素の関係性がパッと見でわからない。おそらく1が連載のメインタイトルで、5がサブタイトル。ついで2が執筆者としか思えない位置にあります。ところが本文を読み始ると2はインタビューされている人の名であることがわかり、したがって書き手は別人、たぶん3と推定されます。1と3が同じ書体で、これがメインとサブの見出しセットに見えるのも難。6は図版のキャプションらしいのですけど、2の肩書きを表記すべき位置にあり、まるで執筆者が「…にて(記す)」と伝えているみたいに読めます。さらに不明なのが4で、この(6)というのは連載の通し回数なのか、それとも2にかかるものなでしょうか。
いやはや、見せ方ひとつでこんなにもあいまいになってしまうものかと、たいへん勉強になりました。せっかく文章は興味深いのに。