国立能楽堂でお能「西行桜」を見ました。
桜を一人で楽しんでいた西行、その庵へ花見の客が訪れる。捨て台詞のようにつぶやいた歌が、「花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜のとがにはありける」。静寂を破られた責任を押し付けられたかたちの桜の精がそこに登場、問答を交わすうちに和解して舞い、やがて去る老木の精……。
前半は西行が狭量なのかと思わせるやりとり。「草木は非情無心なのになんで咎があるか」「これはごもっとも」。桜の精からたしなめられて逆に法を説く西行。「草木国土悉皆成仏の御法なるべし」で「ありがたや」と応ずる桜の精。仏教がスピリチュアルな存在を手なずけるという構図。
なんにせよ、桜というのはいろいろなことを考えさせるものであります。