仏報ウォッチリスト

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 大遣唐使展を見た

(つづき。夕刻近いというのに奈良国立博物館の入り口には行列。なのでいったん通り過ぎて、東大寺境内へ。今しか開いていない俊乗堂で重源上人坐像を拝んできました。自然光で見ると写真より陰影が濃くリアルです。引き返すと、行列はなくすんなり入館)


奈良国立博物館で特別展「大遣唐使展」を見ました。第1会場は目玉作品で「日中交流」と「唐代宮廷文化」を紹介し、第2会場で歴代の遣唐使をドキュメント風にたどります。
この前半がいささかとっつきにくい。理由は、遣唐使時代の人々の気持ちになってみないと感激が込み上げてこないからでしょうか。鮮やかな唐三彩と南都古寺の瓦と唐代名筆の拓本を見て素直にスゴいと思うには、やはり当時の感覚に成りきらなければならず、そのためには後半の知識が必須です(でも残念ながら複雑な動線は後戻り不可)。
で、移動して第2会場へ。こちらで実感したことが二つ。ひとつは、遣唐使の時代がいかに古いかということ。遣唐使に関わった人物を紹介するにも資料自体が残っていない。阿倍仲麻呂ゆかりの品が「古今和歌集」の鎌倉時代の写本だけではどうにも締まりません。第1会場の「吉備大臣入唐絵巻」も本来ならこっちに展示されるべき作品でしょう。
もうひとつ感じたのは、遣唐使をテーマにくくれば、奈良の文物でその影響を受けていないものは皆無なのではないかということ。第2会場にある彫刻のいくつかは、たしか以前から同会場の常設展示にあったはず。おのずとそうなるわけですね。
「みんな唐から教わった」という前提は、まあそうなんだろうとは思うものの、天衣が風にたなびく表現まで唐が手本、などと説明されると思わず、ん?ホントに?って確認したくもなります。
そこで展示冒頭の観音菩薩立像“対決”を思い起こしてみます。素材の違いこそあれ、国内産が隋唐の技術を超えられないとすれば、706年と明記された石像が銅像に先行することになる。ならば聖観音の白鳳説は消えるのか。うーん、さまざま考えさせる展覧会です。