仏報ウォッチリスト

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 小袖曽我を見た

先日、国立能楽堂お能「小袖曽我」を見ました。曽我十郎・五郎の兄弟が父親の仇を討ったという史実をベースとする一連の作品(いわゆる「曽我物」。20以上あるとか)の一つ。
仇討ちはいけない、怨みに報いるに怨みをもってしてはならない、というのが仏教の大前提ですから、美談に酔ってはなるまいと、思わず身構えてしまいます。けれどもそれは作者だって先刻承知のようで、殺害を直接に描くのではなしに、興味深い場面を設定してきます。
父が殺された後、弟の五郎は寺へ預けられている。やがては出家しようという機縁が熟する前に、怨みを晴らさんとする情熱が打ち克ってしまう。兄の十郎と仇討ちに行くことを決意し、母親に別れを告げに行く。
母は激怒し、五郎に会おうとしない。十郎のとりなしで何とかお許しが出る。兄弟で歓喜の舞い、しかしおそらくこれが今生の別れ……。
怨みの連鎖を回避しようとしていた母親の心を折れさせたのは、五郎が〈法華経一部読み覚え、常は読誦し母上の、現世安穏後生善所と祈念する。または毎日に、六万遍の念仏父河津殿に廻向する〉からだと。
お勤めを行うのは、父母を思うゆえ。ここまでくれば、仏教では、儒教では、などと教理的な裏付けを詮索するのも野暮ですね。
〈この程、時致(=五郎)が、尽す心に引きかへて、今はいつしか思ひ子の母の情けありがたや〉
仇討ち芝居にもきちっと向き合わなければならないと改めて思いました。