仏報ウォッチリスト

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 鞍馬天狗を見た

先日、宝生能楽堂お能鞍馬天狗」を見ました。牛若丸が鞍馬寺で天狗から兵法の奥義を伝授されるというお話。そのいきさつを子役含む多数の登場人物で演じます。
資料によれば、このエピソードの典拠は明らかでなく、『義経記』にも関連する記述がないといいます。なのに謡曲や説経などに共通する題材となっているのは、おそらく長編「牛若物語」ともいうべき先行する作品が存在したのであろうとのこと(『新潮古典集成謡曲集』解題)。寺社縁起などに依るのかと思ったらそうでもなさそうなのは意外です。
ともあれ、物語の柱は牛若丸=義経の超人性を補強する天狗伝説です。前半は寡黙な山伏が牛若丸少年に近づき、後半は大べし見というお面に羽団扇を持つおなじみの天狗が颯爽と登場。稚児を賞玩するあやしい雰囲気も漂います。
天狗はお供を連れています。従者の出身は英彦山、白峰、大山、飯綱、富士山、大峰山、葛城山、比良、横川、如意が岳、高雄愛宕山など。これらの地を自在に飛び回っている風情。実際に舞台で連れているのは木葉天狗一人ですが。
牛若丸は「沙那王殿」と呼ばれ、これは毘沙門の沙の字を借りたのだと説明されます。ただし謡曲集の注釈によると、『義経記』等には毘盧遮那仏に由来するらしい「遮那王」の字を宛てているそうです。
舞台は鞍馬山に咲き誇る桜を見えない背景としています。始まって間もなく「古歌に曰く」として引用されるのが「今日見ずは悔しからまし花盛り咲きも残らず散りも始めず」という出典未詳の歌。理屈の上では満開となる前からすでに花びらは散り始めていると分かってはいても、やはりこんな咲き揃った直後、散り始める寸前の瞬間があるのではないかと思わせる描写です。それは牛若丸がやがて披露することになる武勇伝と、哀しき最期との両極端を象徴する光景なのかもしれません。