読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 「柏崎」「猩々乱」

宝生能楽堂で「柏崎」と「猩々乱」を見ました。
「柏崎」。柏崎殿は病で客死し、同行していた息子は出家遁世。悲報を聞いた妻は物狂いとなって信濃善光寺へ着き、乱れ舞っていたところ、この寺に預けられていた息子と再会が叶う。
女が本堂内陣に入って本尊に祈るのを、住僧がたしなめる。女は、すべての者が救われる教えのはずなのに、ここが女人禁制とは如来がおっしゃったことかと反論。
「…声こそしるべ南無阿弥陀仏 頼もしや頼もしや 釈迦は遣り弥陀は導く一筋に ここを去ること遠からず これぞ西方極楽の 上品上生の 内陣にいざや参らん…」
夫とは死別、子とは生別。もともと柏崎の地を出立したのは息子を探し求めてという意味合いが強かったはず(「子ゆゑに身を焦がししは…」)ですが、堂内では夫の形見の烏帽子直垂を身につけて亡き人の後生善所を祈ることがもっぱらの目的になっています。
「…それ一念称名の声の中には 摂取の光明を待ち 聖衆来迎の雲の上には 九品蓮台の花散りて 異香満ち満ちて 人に薫じ 白虹地に満ちて連なれり」(原文ハツコウは白鵠かとも。白光はハツクワウなのであり得ないと伊東正義謡曲入門』にあります)
「悲しみの涙 眼に遮り 思ひの煙 胸に満つ つらつらこれを案ずるに 三界に流転して なほ人間の妄執の 晴れがたき雲の端の 月の御影や明きらけき 真如平等の台に 到らんとだにも歎かずして 煩悩の絆に 結ぼほれぬるぞ悲しき」
「罪障の山高く 生死の海深し いかにとしてかこの生に この身を浮かめんと げに歎けども人間の 身三口四意三の 十の道多かりき」(←十善戒)
「されば始めの御法にも 三界一心なり 心外無別法 心仏及衆生と聞くときは 是三無差別 なに疑ひのあるべきや」(←華厳経
「己身の弥陀如来 唯心の浄土なるべくは 尋ぬべからずこの寺の 御池の蓮のえん(縁/得ん)ことをなどか知らざらん」(←観無量寿経
「ただ願はくは影頼む 声を力の助け船 こがね(漕/金)の岸に到るべし」
「宝の池の水 功徳池の浜の真砂 数かずの玉の床 台も品々の 楽しみを極め量り無き 寿の仏なるべしや」(←阿弥陀経
「若我成仏 十方の世界なるべし…」(←無量寿経に基づく往生礼讃偈)
と縦横に仏法が語られたのち、「今は何をかつつむべき」で住僧が息子を立ち上がらせる。子役も、観衆もこの時をじっと待っていた。やれやれ。
夫を偲びつつ息子をも案ずるというところで主題が揺れるのが、狂乱ぶりを特徴づけているとも言えます。
     ◆
つづいて「猩々乱」。海に住む猩々の精が舞いを見せる。前段で孝行な青年が酒の販売で富貴の身になり、その成功譚の裏に猩々だと名乗る者が関与していることを匂わせる。特殊な舞は波と戯れているとも見え、酒に酔っているようでもあります。
会場配布のパンフに「青年時代の節目に披くべき課題曲の一つ」とあり、そういうことかと思って見ていると、後見の目が演者を鋭く観察していることに気づき、こちらまで緊張してくる思いでした。