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仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 「卒都婆小町」

国立能楽堂お能「卒都婆小町」を見ました。
卒塔婆に腰掛けている年老いた小野小町を僧侶がとがめたところ、逆に善悪不二・煩悩即菩提・一切無差別という仏教の教理で言い負かされてしまうのが前半。小町にかつて懸想した四位(深草)少将が憑依し、やがて憑依から醒めた小町が仏道に入ることを決意するのが後半。
卒塔婆に腰掛けるまでが長い。百歳という設定だからしかたないのですが。そこからの卒塔婆問答は一転して丁々発止。
掛け合いで「提婆が悪も」「観音の慈悲」、「槃特が愚痴も」「文珠の智慧」と、迷いも悟りもしょせんは同じだという。つづいて「悪といふも」「善なり」、「煩悩といふも」「菩提なり」と即答。「菩提もと」「植木にあらず」、「明鏡また」「台になし」は六祖慧能の句。小町の論理はここでは禅思想に基づきます。
今回は通常の舞台ではなく《能を再発見する》という企画公演。演出を見直し、6カ所を改変したとのこと。とはいえ、この演目を見るのが初めてなので、従来版との比較については語る資格なしです。
具体的には大きい変更点が2つ。1つは、小町に少将が憑依したところで物着をするのをやめたこと。物語は小町が少将になり再び小町に戻って終わるのに、少将の装束である烏帽子と狩衣のまま退場するのは不自然。もう一度着替えないと辻褄が合わないから、いっそ物着を省こうというわけです。
もう1つの変更点は、クライマックスで烏が登場すること。これは古い文献に根拠がある復元だそう。ただし登場のタイミングは資料がなく、小町が悟りに至る契機となる玉津島明神の御先として烏が出現するとしたのは、今回の創作とのこと。冠り物に拳大のカラスの模型が乗っている烏役のセリフはなし。手に持った榊の枝を小町の背に当てて合図し、小町を導いていきます。
長いこと疑問だった点を修正したわけでしょうから、もとより異議はありません。ただ、上演に際して今月のパンフレットに監修者の1人である天野文雄氏が6ページにわたり改作の経緯を詳述し、さらに公演当日には開演に先立って同氏が識者とともに40分間の解説をしました。それはまるで改変が恐れ多く、うしろめたいからと、あらかじめ言い訳をくどくど聞かされているようで、伝統に手を加えるのって、これほどまでに面倒なものなのか、と思い知らされました。