仏報ウォッチリスト

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「スサノヲの到来」

渋谷区立松濤美術館で「スサノヲの到来―いのち、いかり、いのり」を見ました。
日本神話の勇者スサノヲノミコトが日本の歴史に深く影響を与えてきたことを、展示物で提示しようとする意欲的な企画。全7章で展開するのですが、視点がそのつど変わってあちこち拡散するので、付いて行くのが大変です。
まずスサノヲの性格を示します。展覧会の紹介文では「大地を揺るがし草木を枯らす荒ぶる魂と、和歌の始祖としての繊細な美意識を備えた存在、この両面を持つ」。さらに図録では鎌田東二氏が次の4つのポイントを示しています。
(1)母神イザナミを恋い慕って泣き叫び、海山を枯らして父神イザナギに追放される反抗神
(2)姉の天照大御神に別れを告げるために高天原に上るが、そこで乱暴狼藉をし、機織女を殺してしまい、日の神の姉を天の岩戸に閉じ籠もらせてしまい、姉にも追放される破壊神
(3)出雲の地に降り立って、八頭八尾の大蛇を退治して、わが国最初の歌(詩)を詠う文化英雄神
(4)訪れてきた子孫神オホナムチに三種の神宝(生太刀・生弓・天詔琴)と「大国主命」という神名を授け、自分の娘のスセリ姫と結婚させて祝福を与える智略神
これにもとづいて文物を挙げてゆくわけですが、どうもしっくり来ない。その理由は、このポイントのうち1つでも合致すればスサノヲ的だと断言すること、そしてスサノヲ的な性格の人と実際にスサノヲに言及している人とが混在しているためです。
平田篤胤折口信夫ははっきりその名を挙げているのでその通りでしょう。大本もこの線に沿っています。一方、西行や松尾芭蕉南方熊楠田中正造もそうだといわれると、鵜呑みにするのをためらってしまいます。
一歩踏みとどまって、ではスサノヲ的ではないものとは何なのかと考えてみます。それは日本由来ではない、外来の文化がそうなるのか。たとえば仏教に端を発するものは、スサノヲ的でないという判断でいいのでしょうか。
この考えを押し進めれば、平田篤胤が言うような「もとをただせばそもそも日本にあったものが海外に伝播したにすぎない」という結論にもなりかねません。
最終章に現代作家の作品。こういう想像力に任せたまとめ方が疑問符に追い打ちをかけます。ただ一つ、大いに同意するのは、このテーマを表現するためには、活字でもなく、舞台のパフォーマンスでもなく、どうしてもミュージアムでなければならなかった、ということです。