仏報ウォッチリスト

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 「陸にあがった海軍」

畑違いのテーマですが近所だし次回展の情報も欲しいしと思って寄ってみた神奈川県立歴史博物館の特別展「陸にあがった海軍」、驚きました。見に来て良かった。
副題「連合艦隊司令部日吉地下壕からみた太平洋戦争」のとおり、先の戦時中に横浜市内に作られた軍事施設の概要と遺品を紹介し、当時を振り返る趣向。ところが肝心の物品がほとんど残っていない。残らなかったのは敗戦でそれどころではなかったのと、機密に関わるという点もあったせいでしょう。無いなら無いなりにどう見せるか、というのが展示担当者の腕の見せどころです。
電灯器具のガラス部分はなくなり接続個所のプラスチック片だけが残存している。これを電機メーカーの現物見本と突き合わせてみて昭和16年製の東芝の蛍光ランプだと判明する。映画『連合艦隊』(昭和56年)のセットでは電球で現場を再現していたけれども、実はすでに蛍光灯が使われていたというわけ。でも戦中の再現映像で蛍光灯を使ったら逆に雰囲気が出ないと却下されてしまうかもしれません。
そうした追究の例は、東洋陶器製の小便器や日本ゴム株式会社の地下足袋の靴底なども。このような積み重ねがあってこそ、かすがいや碍子、地下壕壁と地上道路のコンクリート片といった何の変哲のない展示品までもが光を放ち始めます。
映画といえば、施設の外観写真がほとんど残っていないらしいのですが、たまたま現地でロケをした日活映画『あいつと私』(昭和36年)の背景に竪坑が写り込んでいたということで、ワンシーンの画像がパネル展示されています。よく見つけたものです。
戦艦や特攻隊の資料など、戦争一般の資料は無理に地元にこだわらず、専門の施設から駆り出しているのは、むしろ潔く思えます。こうした中で、日吉の遺品として最も目を引いたのが、一冊の手帳の展示です。
当施設に勤めていた女性が敗戦で自動的に退職となりました。職場の人たちから寄せ書きのメッセージを手帳にもらいます。この文面が、終戦直後の状況を包み隠さず伝えていて、胸に刺さります。展示は任意のページを開いて展示された現物の手帳、そして他のページがいくつかコピーで並べられています。日付は昭和20年8月18日。
同僚の女性からの寄せ書きには、おつかれさまーまた会おうねー、みたいなことが動物のイラストなどを添えて書いてあります。今も昔も変わらず。しかし、組織にいた軍人たちは、そうはゆきません。
「臥薪嘗胆」とだけ書いたメッセージがあります。えっ? この人の中ではまだ闘いは終わっていないようです。別の人は、「敗戦の因は、戦力の不足に非ず、日本精神の不足と、欧米精神の氾濫なり」。あるいは、終戦を「煉獄の苦しみの始まり」と嘆く記述。「十二月八日の感激」と「八月十五日の悲憤」を対比させて滔々と語る寄せ書きもあります。
つまり、当時を直接知らぬ私などはつい、誰もが戦中からもう負け戦だと感じ、終戦を迎えてそれまでの圧制から開放された、国民みなこの日の到来がウェルカムだったと思いがちです。ところが関係者の中にはこのように、心の底から敗戦を嘆き悲しんでいた人が少なからずいたわけです。
手書きの文書というと同展では会場後半に特攻隊員の遺書が数点展示されていて、これはこれで衝撃的なのですが、死を目前にしながらも人目を意識せざるを得ない繕いがあります。けれどもこの寄せ書きは、当時の偽らぬ心情を図らずも伝えてくれる点で、たいへん考えさせられます。これほど雄弁に語る展示というのを初めて見ました。