仏報ウォッチリスト

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 「寺子屋」を見た

歌舞伎座で4月さよなら公演第2部を見ました。人気演目の見取りで「寺子屋」「大川端」「藤娘」。後ろ2つはただボケーッと見とれ聞きほれていればよろしいでしょう。幕開きの「寺子屋」について以下にいくつかメモ。
匿う子を大事にするあまり、おあつらえの別の子を犠牲にして差し出したところ、確かめる担当者が実は、という話。これだけ聞くとなんと身勝手なと思えますが、本編は『菅原伝授手習鑑』の四段目切。前段でそこまでして大事な子=菅秀才を守り抜く覚悟が語られていますから、これはもうお約束の大前提。それだけに「せまじきものは宮仕え」の慨嘆が引き立つというものです。
今月の筋書きを読んでいて面白かったのは、三兄弟についてふれた次の個所。

「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」と菅丞相は詠んだ。その通りに、梅王丸は丞相の共をして筑紫へ飛び、桜丸は腹を切って死に枯れた。松はつれない、と世上では松王丸を非難したが、しかしこの歌の真意はそうなのだろうか。「何とて松のつれなかるらん」、何で松がつれないことがあろうか?という反語に籠めた菅丞相の心を、松王丸は心底深く、ひとり思い続けていたに違いない。(上松以和於)

あ、そうか。反語か。
仁左衛門さんの武部源蔵は初見。上演記録を見ると大阪と京都では演じていらっしゃいました。端正な造作から苦悩がにじみでるよう。
ところで、メンバーが豪華過ぎるのも何だか考えものです。後半の松王丸夫妻(幸四郎玉三郎)と源蔵夫婦(仁左衛門勘三郎)の居並ぶ空気は濃すぎて4人の力関係を見失いそうでした。冒頭の涎くり(高麗蔵)の演出が地味目だったのはある意味で見識かも。
これで現行の歌舞伎座での鑑賞はたぶん終わり。建て替えにはあまり感傷的になりたくないと思っているので、さりげなくさよならを告げてきました。