仏報ウォッチリスト

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 「通小町」「六浦」

宝生能楽堂銕仙会定期公演お能「通小町(かよいこまち)」と「六浦(むつら)」を見ました。
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「通小町」は、小野小町に惚れた深草の少将が、百夜通えばという条件を真に受けて通いつめるも九十九夜で断念、その妄執は二人の死後も続いていたというお話。まず里の女が修行僧のもとに毎日通って木の実などを送り届けるという伏線があり、わけを尋ねると小町の霊が現れます。
亡霊が僧に成仏させてくれと懇願していると、そこに追ってくるのが少将の霊。かなわなかった百夜目の通いを再現し、二人揃って成仏します。少将は思いを遂げたのかもしれませんが、小町にとってはどうだったのか。成仏したから世俗の煩悩はすべて消え去ったとみればよいのでしょうか。
この結末は、不邪淫戒を犯したけれども不飲酒戒は守ったから、という都合の良い理由づけがなされています。配布パンフの解説によれば、〈比叡山の衆徒が唱導の芸能として金春権守が演じたものを、観阿弥が改作し、さらに世阿弥も手を入れたと推量される曲〉だといい、その過程でこういう唐突な展開となったもよう。そもそも小町と少将の百夜通いという伝承も世阿弥の創作だそうで、そうなると原型の唱導では何がテーマだったのか。気になっても真相は夜の闇の中。
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「六浦」は金沢文庫称名寺が舞台。ここにかつて真っ先に紅葉する楓の木があって、中納言為相(ためすけ)から褒められたのを機に、もう紅葉するのをやめたといいます。物語は現在からさかのぼる構成で、紅葉の季節なのに青々とした木があって、その由来を尋ねると楓の精が現れていきさつを語ります。
他と違う姿でいたいのだから目立ちたがりなのかというとそうではなく、名誉を一度受けて〈功成り身退くはこれ天の道なり〉というわけでやめたのだと、奥ゆかしいことをおっしゃいます。
この舞台は主人公の樹木を一貫して女性の姿で描いているのがポイント。この楓の精が草木国土悉皆成仏の仏徳に感謝して舞うのが後半。天の道と仏の道とを共に讃えるわけです。
為相の和歌「いかにしてこの一本に時雨けん山に先立つ庭のもみじ葉」に想を得た作品。その返歌として旅の僧が詠むのが「古りはつるこの一本の跡を見て袖のしぐれぞ山に先立つ」。秋の風情を紅葉しないことで伝えるという、なんともひねくれた舞台劇でした。