仏報ウォッチリスト

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 高野山麓 祈りのかたち

和歌山県立博物館で特別展 「高野山麓 祈りのかたち」を見ました。
高野山というと山上ばかりに目が行くところを、あえて裾野のほうに注目した企画。しかしそれが、山上のついでに山麓も見ておく、というのとは明らかに違うことがしだいに分かってきます。
展示が空海から始まることは当然ですが、ここでピックアップされるのが、高野山開創の伝承に登場する丹生明神と、空海の入定にも関わる弥勒菩薩。3地域を紹介する第2章で中心にあるのが阿弥陀如来と二十五菩薩、といった具合に、ちょっと意外な信仰が語られます。高野山といえば真言密教と、いかに自分が杓子定規に捉えていたか、いきなり意識の転換を迫られます。
第3章が祭礼と芸能。山上では音楽の演奏や蹴鞠などの遊戯が禁止されており、その代わりを山麓の神社が担ったと。なるほど。能面も衣装も立派で、とても村芝居などと蔑むレベルのものではありません。
本展のメインとなる仏像にしても、決して村の大工や鍛冶屋が見よう見まねで作ったような代物ではなく、一級の仏師の仕事と一目で分かる、これこそが山麓が本山と密接につながっていた証拠でしょう。
村の有力者の子弟が山上の僧になって出生地との関係を取り持った事例がある、という解説も興味を引きました。
展示のハイライトは第4章の村堂(むらどう)の紹介です。お寺の本堂のような建物で、住民たちが管理して祭事などで集う、人々の結束のための紐帯の場が今も高野山麓にはある。へーッと驚かされると同時に、しかしそれは消え去りつつあるという警告の展示でもあります。
第5章が廃仏毀釈の話など。新出の初期密教彫像は小さいながら確かな存在感があります。
今回初公開、という仏像が数多く展示されています。きっとお寺の隅にあって、誰もその価値が分からなくなっていたのでしょう。お寺だから捨てなかった、そのおかげでこのたび見いだされたわけです。
この特別展は、先に企画があって調査してみたら大きな収穫があったのか、それとも各地の調査を進めてきた成果がこういう企画に結実したのか。きっとどちらの要素もあるのでしょう。いずれにせよ、博物館という機能が果たす重要な任務を十全に示した素晴らしい展示でした。