仏報ウォッチリスト

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 「書聖 王羲之」展

東京国立博物館で特別展「書聖 王羲之」を見ました。習字のお手本のような優品約160点を一堂に集め、書道界の大親分の実像に迫る展覧会です。
王羲之は日本で言えば聖徳太子よりむしろ卑弥呼の時代に近い4世紀の人。その直筆は愛されすぎたがゆえに一つも残っておらず、いま見ることができるのは複製のみ。とはいえそれがおそろしく精巧で、本物と遜色が(見たことないけどたぶん)ありません。なぞった写しだと分かっていても躍動感があり、引き伸ばして傍に掲げた写真パネルとは明らかに精彩が違います。
同時開催の円空展が仏像100体を本館のたった1室内で展示しているというのに、掛け軸ばかりの当展で平成館全フロアをどう使うのか、という疑問は訪れてみて納得。神格化された書聖の全体像を描き出そうとすると、これほどのスペースが必要なわけですね。
名だたる「蘭亭序」にいたっては、関連の展示を含めて3部屋にまたがっており、言うなれば“蘭亭序まつり”のおもむき。このセクションに模本(なぞった書)と共にある臨本(真似た書)は書き手の個性が現れて一味違った魅力があります。
王羲之流のスタンダードを目に焼き付けてから、終盤で近現代の書に王羲之の影響を見るというのも面白い趣向です。
出品目録を見ますと、本場であるはずの中国本土と台湾から借りた作品が一つもないことに驚かされます。海外は香港から3点と、米国から1点のみ(多数ある「個人蔵」が外国人の所蔵品である可能性はあります)。政情不安で見送ったのかとも思われますが、これが結果的に日本国内のコレクションの充実ぶりを際立たせています。
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いちおう当ブログの趣旨に従って、仏教関連の作品をメモしておきます。ちなみに王羲之自身は直接に仏教信仰のご縁はなかったようです。
書の歴史を追う中で楷書の作例として、4〜7世紀の中国の写経が10点あまり。王羲之7世の僧侶・智永による「真草千字文」。清朝最後の巨匠・呉昌碩の「篆書般若心経十二屏」。
それと、パネルで紹介されるエピソードがひとつ。王羲之が老僧と閑談した後でお気に入りの真珠を見失い、疑われたのを苦にして老僧は亡くなってしまう。のちに真珠はガチョウが呑み込んでいたと分かって老僧の疑いは晴れ、悔やんだ王羲之は自宅をお寺に寄進したといいます。ここは今も戒珠寺として浙江省に現存するそうです。