仏報ウォッチリスト

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 痛快なコラム集

校正のシゴトが続くと、つい反動で仏とか寺とかが出てきそうもない本に手が伸びてしまいます。そんな禁断(?)の新刊2冊。

サンデー毎日に連載中のコラム昨年1年分の集成です。毎年この時期にこうして1年分の話題をまとめて読むのがルーティンと化して、はや十数年。
著者によるテーマの設定にはまずご本人のハッキリした好き嫌いがあります。本書からいくつかピックアップすると次の通り。
〔好き〕クリント・イーストウッドP.G.ウッドハウスクレイジーケンバンド、『国家の品格』、荒川静香松本かつぢ斎藤祐樹投手、深沢七郎、喫茶店、動植物の話題全般
〔嫌い〕ヒューザー小嶋社長、昭和三十年代ブーム、根性ムード、改編期のスペシャル番組、コメンテーターとして売れっ子の作家某、『間宮兄弟』、亀田三兄弟、ITの話題全般
好きなら賛辞を惜しまず、嫌いならその理由を徹底分析。そんな文章にもう十数年(なにも繰り返さなくても)つきあって、私もいつしかそれが血となり肉となっているので、無条件に賛同してしまう癖がついています。この中では藤原正彦ハンカチ王子は意外でしたが、もはや抗えません。
著者は、根はクールな性格なのだとお見受けします。たとえばこんなところ。

・(W杯中継) 「世の中には二種類の人間がいる。それは、物事を渋く見積もる人間と甘く見積もる人間だ」。私とは逆に期待値を120とか200とかまで上昇させずにはいられない人たちも多いのだ。それがTV界御愛用のフレーズ「盛りあがり」の正体かもしれない。


・(「スピリチュアル」人気) 神秘主義者が増えているとは思わない。むしろ逆に、ハンパな合理主義者が増えているんだなあと思う。「世の中にはわかることよりわからないことのほうが圧倒的に多いんだ」と思っていたら、いちいち振り回されることもないと思うけどなあ。

しかし原稿用紙に向かうと俄然ボルテージが上がる。一言いわずにはいられない。それも含め好きなんです。なにせ十数年のおつきあい(しつこいっ)。

・(「ワンセグ」解禁) 人びとは電話とカメラばかりではなくTVまで、肌身離さず持ち歩かなければ気がすまなくなるのか。四六時中、世の中につながっていたいのか。そこまで「ひとり」になることが不安なのか。そこまで「自由」を怖れるのか。暑苦しいったらありゃしない!


・(代理出産) こんなことを言ったら怒りを買いそうだけれど、子どもがいないと淋しい夫婦は、子どもがいても淋しい夫婦なんじゃないかと思う。子どもさえいれば…と、あんまり子どもに期待しないほうがいいんじゃないか。いずれ、また夫婦二人だけに戻るわけだし。

文章がばつぐんに上手。こんなのが自分も書けたらなあと憧れます。
婦人公論』に01〜06年まで連載されたコラム。文芸評論家として知られる著者がタイトル通りちょっと日常ニュースに注目してみましたという体裁。

・そうか、スローフードって、要するに「究極のグルメ」だったのか。……本気で「反近代」をやろうとすると、たいへんな時間と労力がかかってしまう。それは人を(というか女を)、もう一度台所に縛りつけることにならないだろうか。(02年2月_反近代のスローフードは女の敵か味方か)


・結婚の同義語としての「入籍」は、古い家制度を連想させる。こんな言葉を使っている限り、嫁だの婿だのいう意識は人々の中から消えないだろう。……たかが言葉といわれるかもしれないが、言葉は意識を決定する。変えるのは簡単だ。みなさまもこれからは、「婚姻届を提出した」といってください。(06年2月_「入籍」と呼ばないで)

このへんが一般的にとっつきやすい話題。でも実は、本書の主流は意外にも硬派ネタなのです。政治、外交、憲法、皇室、自衛隊。それらをさばく手腕は堂に入ったもので隙がありません。
きっと書き出すまでには、入念な下準備がなされているのでしょう。とはいえ、そんな苦労はおくびにも出さない。もちろん決して高みから見下ろして物申すようなのとは違う。それとは方向が全く逆で、なんと言ったらいいのか、例えるならば、密かにひとり潜水して海底をくまなく見回って、やおら陸に上がりウエットスーツを脱ぎ捨ててしまうと、もう見た目われわれと変わらないわけです。何食わぬ顔で仲間の輪に入って、ちょっと調べてみたらこの海にはね、なんて話し出し、妙なことに詳しいんだね、とみなが感心して一目置く、そんなかんじ。
とにかく腹の据わった歯切れよい文体が心地よくって。

・病気といわれるのがそんなに嬉しいのか。理解に苦しむ心のありようだけれども、そういう人に聞くと、診断名がつくと「私がこうなのは私の責任ではない」とわかってホッとするらしいのだ。……でもさ、診断名っていうのは、治療のためにあるわけでしょう? 治ることを前提に、治そうと努めている人にこそ「疑似患者」は迷惑なんじゃないのだろうか。(01年8月_「病気になりたい病」を考える)


・夢を追うのは悪いことではないし、早くから就きたい職業のイメージが明快な人は幸せだと思う。でも。夢万能主義は危なっかしい。だって夢に挫折したら、どーするのだ。いつでも路線変更してやらあ、くらいの気持ちじゃないと、すぐにポキッと折れちゃうぞ。……大きな夢より小さな軌道修正。夢なんか持ってる人、現実には少ないわけじゃないですか。(03年2月_就職難の時代に夢を語るって大変)


・問題は、謝罪が下手だと、許すのも下手になることだ。何もしないと「謝れ」と迫り、謝ったら「謝り方が悪い」といい、あるいは「ゴメンですむなら警察は要らない」とくる。許す技術がないと謝る技術も育たない。(03年9月_謝罪が奏功するための三つの条件)


・このあいだハサミを買って気がついたんだけど、ハサミって、自分のことは切れないのよね。ハサミについてる値札の糸を切るには別のハサミがいるのである。……ジャーナリズムが「ハサミの値札の法則」に縛られているのは望ましいことではない。だが現実を見れば、メディアに完全な中立はありえない。自社がからめば、それは必ず「大本営発表」に近づく。である以上、私たちはできるだけ多様なメディアを確保しておく必要があるし、ついでにいえば北朝鮮の国営放送も笑えないのである。(05年3月_自分を報道できないメディアの弱点)

つくづく、ほれぼれ。