7月冒頭からやおら始めたお写経、『法華経』「序品(じょほん)第一」がやっと終わりました。おかしいですねえ、取り組むうちに心が落ち着いてくると思ったら、逆にひーひー息があがってます。
「序品」は目分量で約4000字強。『法華経』は全部で6万9384字なので、17分の1くらいが済んだ見当になりましょうか(ちなみに、69384は「ろっくさんぱし」と暗記してください。ここ試験に出ます)。
この「序品」は文字通りのプロローグで、仏さまが法を説く場に参集した者たちの名が並び、これから説かれる法を賛嘆します。
参列者のなかには、阿修羅が4人もいました。(いや、「人」じゃないですね。阿修羅は何と数えるのでしょう?)
ほかに面白い表現だと思ったのは、
「聴仏所説、謂如食頃。」
仏の所説を聴くこと、食頃(じききょう)の如しと謂(おも)えり。
食事のように聞法する、と。これを私は当初、食事の時間が大切なように大事なご説法という意味だと思ったのです。ところが注釈を見ると、食頃とは「飯を食う程の僅かな時間」。つまりそれほどにすばやいご説法というわけです。
……前置き的な部分だけで一章終わってしまい、これでは本論に入らないうちにうんざりして投げ出しかねない。とりあえずはほどほどに付き合い、面倒ならばとばしてしまってもかまわない。
――末木文美士『仏典をよむ』44頁
私もそう思います。
それでも、どうも気になる経典である。(中略)読み手次第でさまざまな相貌を示し、問が深まれば、それだけ深く輝きを増す。そこで跳ね返されてしまったら、所詮は自分のほうがそれだけのものでしかなかったということである。
――同 60頁
キビシイけど、肝に銘じます。