仏報ウォッチリスト

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 「鉄輪」を見た

先日、国立能楽堂お能「鉄輪(かなわ)」を見ました。
夫に逃げられた怨恨を晴らそうと貴船神社で丑の刻参りする女、願いはやがて叶うとのお告げを受け、鬼に変貌する。一方、女を捨てて後妻をめとった男、復讐を怖れて陰陽師安倍晴明にすがり、なんとか命だけは助かる。言わば藁人形に五寸釘といった恨み節が全編を貫く舞台です。
なんとも重苦しいこの演目が数百年も演じ続けられてきたのには、一体どんな意味があるのでしょうか。
まず思ったのは、女(先妻)はこれで気が済むのかということ。当公演パンフによれば、〈室町時代の庶民の間では、離縁された先妻が仲間と徒党を組み、後妻の家を襲って報復する習俗〉があった、これを「うわなり打ち」と言うそうです。つまり、女性の観客に対してはこういう前例があるからと励まし、男連中に対しては気をつけろよと警告しているわけでしょうか。
ちなみに、タイトルの鉄輪とはいわゆる五徳のこと。ローソクを立てた鉄輪を頭にかぶって登場する鬼女、目が合ったら怖いぞー。
ところで、男はなぜ助かったのでしょうか。霊験あらたかなのを裏付けているともとれますが、実はどうも女の真情は嫉妬にあるらしく、怒りは後妻に向けてぶつけられます。まあ痴話喧嘩とはそういうもの、と言ってしまえばそれまでですが。
この話を宗教的な面から捉えると、表面的には神道ヴァーサス陰陽道の構図が浮かびます。でも安倍晴明自身はもともと貴船神社とゆかりが深いみたいですし、クライマックスで男を守って女を退散させる「三十番神」も貴船神社と関連があるのだそう。となると誰が誰に加勢したのか。謎です。
ひとつだけ明らかなのは、ここには純然たる仏教者が出てこないこと。そう、仏教では「恨み」は絶対にいけません。