宝生能楽堂でお能「三山」「春日龍神」を見ました。いずれも奈良を舞台としたお話。
「三山」は男と女二人の恋争い。香具山を膳公成に見立て、耳成山が桂子、畝傍山が桜子だという。男を奪われた桂子が桜子に向ける執心が話のかなめ。先に登場している鬱屈した桂子と後から出てくる若々しい桜子との対比が見どころ。演じるは鵜澤久・光親子、衣装もしぐさも対照的でわかりやすい。実際に手を出す争いは後妻(うわなり)打ちという合法的なものらしい。
途中、良忍上人に対し、自分も融通念仏の名帳(みょうちょう)に加わりたいと願うシーンをカットする演出だそうで、そうなるとワキが良忍である必然性がなくなりますが、主題はシンプルに浮かび上がります。詞章のこの飛ばした部分には「南無阿弥陀仏」「若い我成仏十方世界、念仏衆生摂取不捨」とあります。
騒動は終息し、互いに気が済んだのか静かな退場。分かりやすい運びは、近年の復曲であるせいでしょうか。
「春日龍神」はインドへ行こうとする明恵上人を思いとどまらせるために春日大社の神職がこの地に釈迦の浄土を見せる。サビだけ以前に興福寺の催しで見たことがあります。
「されば(明恵)上人をば太郎と名づけ 笠置の解脱上人をば次郎と頼み 左右の眼両の手のごとくにて 昼夜各参の擁護懇ろなると承りて候ふほどに 日本を去り入唐渡天し給はんこと いかで神慮に叶ふべき ただ思し召し止まり給へ」
「天台山を拝むべくは 比叡山に参るべし 五台山の望みあらば 吉野筑波を拝すべし 昔は霊鷲山 今は衆生を度せんとて 大明神と示現し この山に宮居し給へば すなはち鷲の御山とも 春日のお山を拝すべし ……鹿野苑もここなれや 春日野に起き臥すは鹿の苑ならずや」
「入唐渡天を留まり給はば 三笠の山に五天竺を映し 摩耶の誕生 迦耶の成道 鷲峰の説法 双林の入滅まで ことごとく見せ奉るべし」
「時に大地振動するは 下界の龍神の参会か すは八大龍王よ……」
なんともスケールの大きな舞台でした。