小説『太陽を曳く馬』がずいぶんと宗教的な内容らしいです。文芸評論家・斎藤美奈子さんの紹介文を引きますと、
高村薫『太陽を曳く馬』は今月いちばんの話題作だろう。……小説はふたつの「事件」をめぐって展開する。ひとつは前作〔『新リア王』〕において禅僧となった福澤彰之の息子・秋道が起こした凄惨な殺人事件であり、もうひとつは彰之が代表をつとめる禅寺で修行中だった青年僧・末永和哉の不慮の死である。……しかしこの小説の眼目は、犯人探しでもなければ、事件の顛末を明らかにすることでもない。
……上巻では公判の一部始終と現代美術をめぐる考察が延々と続く。下巻の大きな部分を占めるのは、事故死した和哉がオウム真理教の元在家信者だったことに由来する、伝統仏教とオウム真理教の教義をめぐる文字通りの宗教問答だ。……都心の禅寺がサラリーマンに人気と聞いて〔刑事〕合田は考える。〈伝統仏教の坐禅がリラクゼーションなら、解脱や真理を求める青年たちがオウムへ走ったのは無理もなかったということになる〉
オウム真理教を彷彿させるカルト教団は(たとえば村上春樹『1Q84』がそうだったように)現代社会の一側面を象徴する存在として、これまでにも幾度となく小説に取り上げられてきた。だが、合田雄一郎は、あるいは高村薫はそれを物語のネタとして消費することなく、『正法眼藏』まで持ち出して、彼我の教義のド真ん中に切り込んでいくのである。
――斎藤美奈子「文芸時評」(朝日新聞8/25付朝刊、東京本社版27面) ※「……」は中略部分。〔 〕は引用者が補足。( )と〈 〉は原文。
で、これに続くくだりが、この時評の面目躍如たるところ。
読んでいる間は、たしかにちょっと辛い。が、本を閉じてふと目をあげると、不条理な出来事を「わかりやすい物語」に押し込めようとする力が世の中ではいかに強いか気づくのだ。
ショーアップされた裁判員裁判を歓迎する声であれ、元アイドル歌手の覚醒剤事件を「心の闇」などというわかった風な言葉で断罪する声であれ。
『太陽を曳く馬』の立ち位置はいわばそれらの対極にあるといってもいいだろう。
――同
引用だけですみません。原本を読んでいないもので、コメントは控えさせていただきます。
■『太陽を曳く馬〈上〉』(Amazon)
■『 同 〈下〉』(同)
■著者インタビュー(朝日新聞8/1)
■ 同 (読売新聞8/4)
■ 同 (毎日新聞8/6)