仏報ウォッチリスト

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 能「高野物狂」

国立能楽堂お能「高野物狂(こうやものぐるい)」を見ました。「特集・寺社と能」というテーマの公演で、演能の前には解説と、真言聲明の会による「高野山の声明」がありました。
声明は大曼荼羅供と御影供からダイジェストで計30分ほど。コンサートホールのように響く構造ではなく、橋掛りがあって横幅が広い能楽堂の特徴を改めて意識しました。派手さはないものの、僧侶の声の出し方が独特で、舞台が浄められてゆく感じがありありと分かります。次第に高野山奥の院というお能の設定が形作られてゆきます。
「高野物狂」は手元の幾種類かの謡曲集には収録されていません。会場で調達したパンフレット所収の詞章でにわか勉強。
男の狂乱物。しかも親子ではなく主従。僧侶との理知的な問答、歌い狂ったことを反省する冷静さなどに、女人禁制で歌舞禁止の高野山という場の特徴が生かされています。
夢幻能ではなくすべて生者の世界なので直面。そういえば登場こそしませんが、この場には弘法大師もご存命なのでした。
それにしても、三鈷の松の由来のくだりや、入定・即身成仏といったわずかな専門用語以外は、ほとんど密教の要素がありません。世阿弥と観世元雅作だそうですが、真言密教には関心がなかったようです。

「立ち昇る雲路の、ここはいづく高野山に、来て見れば貴やな、あるひは念仏称名の声々、あるひは鳧鐘鈴の声、耳にそみ物狂ひも、狂ひ覚むる心の、いつかさて、尋ぬる人を道の辺の便りの桜折りあらば、主君になどか逢はざらんと、三鈷の松のもとに、立ち寄りて休まん」
「おう殊勝なりげにも大師は、生ありながら生死涅槃に、入り定まれる高野の奥の、今この山に、跡を垂れ、昔サッタの印明を授かり、慈氏の下生を待ち給ふ事、人仏不二の妙体なれば、大師の待ち給ふ、大師の待ち給ふは、慈尊三会の暁、我は三世の主君を尋ねて、この高野山に参りたり」
「さればにや、真如平等の松風は、八葉の峯を静かに吹き渡り、法性随縁の月の影は、八つの谷に曇らずして、誠に三会の暁を待つ心なり、然れば即身成仏の相をあらはし、入定の地を示しつつ、しんしんたる奥の院、深山烏の声さびて、飛花落葉の嵐風まで、無常観念の粧ひこれとてもまた常住の、皆成仏道円覚の相をなし給ふ」

追記:当月パンフレットに論考「能はいつから神事芸能になったのか」(宮本圭造)が掲載。〈神仏習合の伽藍においても、能が主として神社の祭礼と結びついていた〉〈猿楽もまた、本来は仏教寺院と関わるものであったのが、或る時期から神社の祭礼の中に深く入り込み、次第に神事芸能としての地位を確立するにいたったと考えられる〉