仏報ウォッチリスト

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 絵馬と湯谷を見た

先日、国立能楽堂で開場25周年記念公演の初日を見ました。祝賀ムードたっぷりのプログラムでした。
初めに『翁(おきな)』。古式に則った祝言。いわゆる神事なので上演中は途中入場できませんとさんざん警告されていたのに(チラシにもチケットにもそう刷り込まれている)、よんどころない事情で1分遅刻してしまい、ロビーで待機するよう申し渡されました。なんとも愚かです。内容は前半が能楽師担当の翁、後半は狂言師が担当する三番叟(さんばそう)。ロビーに設置されたモニターで見ていて、前半が終わったところで入場許可が出ました。後半は座席で見ることができたものの、うーん、これもロビーで良かったかな……。
次にお能『絵馬(えま)』。神をシテとする脇能(わきのう)で、前半は伊勢斎宮に絵馬を掛ける行事、後半は三神が岩戸隠れを再現するというおめでたい内容。続いてこれもめでたい狂言『末広かり』。
締めにお能『湯谷(ゆや)』(流派によって表記は『熊野』とも)。あらすじは今春当ブログに書きました。病む老母のため暇乞いする湯谷、それを許さぬ主人の平宗盛。強引に花見へ連れて行かれ、酒宴の場でやっと暇が出る。鬱屈した空気が全体を占める筋立てですが、今日の流れでいうと、これも祝賀的な視点で捉えるべきなのでしょう。
どうも男の理不尽さが鼻についてしまうのですけど、当日パンフレットの解説にはこうあります。
〈(宗盛は)貴公子特有のわがままな性格、もっと言えば、悲嘆にくれる美女を肴にして花見の酒宴を開こうというサディスティックな性格とも思えてきます。ところが(別の解釈として)打ちしおれている愛人の気持ちを少しでも引き立てようと、気晴しに花見に誘う心やさしい公達だと(するものもあります)〉
〈孝女としての性格を持つ湯谷ですが、実は故郷に待つのは母ばかりでなく、幼馴染の恋人であるとの大胆な解釈も〉
ふーん。深いなあ。深いというか、素直じゃないというか……。まあいいんじゃないですか、めでたしめでたしで。