先日、国立能楽堂でお能「芭蕉」を見ました。どこを切っても仏教テイスト。教化目的もあったかと思われる濃厚な内容は、
――僧が法華経を読誦していると、里の女が結縁を求めてくる。会話を交わしてみると仏法を深く理解しているこの女性、じつは芭蕉の精。芭蕉はバナナと同類の植物で、その葉は風吹けば破れるはかないイメージ。「蕉鹿の夢」や「雪裏の芭蕉」といった故事をふまえ、彼女は「女人救済」や「草木成仏」をその身で証明する……。
興味深い点の一つが、舞台を唐土に設定していること。「草木国土悉皆成仏」は従来、日本の天台教学で発展したと考えられていますが、それをあえて大陸由来の思想に託し、箔をつけているようです。
もう一つ面白いのが、僧侶の役割。〈ワキ僧が芭蕉の精を成仏せしめるのではなく、非情草木たる芭蕉が草木のままに無相真如(絶対真理)の姿であることをワキ僧に説くのである〉(新潮日本古典集成『謡曲集下』解題)。なるほど。ワキとシテの関係は出家者>在家者だと見ていると、ほんとうは修行僧<成仏者の関係であったというどんでん返し。恐れ入りました。