仏報ウォッチリスト

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 「大原御幸」

国立能楽堂お能「大原御幸(おはらごこう)」を見ました。建礼門院後白河法皇に語る波瀾の半生。まるで六道のすべての世界を経巡ったかのような経験を、ごく穏やかに再現してゆきます。
 あらかじめ渡辺保『能ナビ』で予習したポイントは、山里の静けさ、内侍の名乗り、法皇の目的は和解、橋掛りでの心の動き、庭の描写、三悪道の景色と安徳天皇の最期の二つの語り。
内侍にとって法皇は親の仇、「げにげに御見忘れは御ことわり」と言われたら心穏やかではありません。
橋掛りにいる二人のどちらが女院かと尋ねるのがうまいと渡辺先生。建礼門院はまずかつての妄執を思い、ここで会えば噂にならぬかと嘆きつつも、「とは思へども法の人、同じ道にとたのむなり」二人は共に僧侶だと気付き、しかし身分が違いすぎると先方からの「叡慮の恵み」を感じる。ここが「演劇的に実にうまくできている」と。
平家全盛が天上・人間、戦争が修羅、船上の水不足が餓鬼、人馬の悲鳴が畜生、その悲惨さが地獄そのもの。けなげに死んでゆく息子。
その再会で怨讐をぶつけるでもなく、ただ自分だけが助かり、「不覚の涙に袖をしをるぞ恥ずかしき」と言う建礼門院
そもそも法皇が対面を求めた理由は、表向きは地獄の様を聞きたいということ。しかし訪問は危険が大きすぎる。二人の間に関係があったともいわれる。和解して現実を受け入れることが贖罪になると思ったからだ、と同書は言います。
結果的にこの記載をなぞるような見方になってしまいましたが、それがなくては薄っぺらな物語に見えてしまったであろうことも事実です。
それにしても、所作の少ない作品です。「現行の鬘物のなかで舞のないのは本曲のみ」(『日本古典文学全集』備考)と言います。どう見ればいいのか、ただひたすらに聞くのか、そこにとまどいつつ終わってしまいました。