仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 勧進能を観ました

7月21日(土)に国立能楽堂で「第五回興福寺勧進能」(第二部「杜若」)を観てきました。お能はまだまだ勉強中でして、みずから語る知識がありませんので、演目についてチラシの紹介文を引き写しますと、

杜 若(かきつばた)
ところは、三河の国・八橋のほとり――。諸国一見の僧(ワキ)が、東国行脚の道すがら立ち寄って、沢辺に美しく咲く杜若に見とれている。そこに、どこからともなく若い女性(杜若の精)が現れる。そして、――伊勢物語には…〈中略〉聞けば、その身は杜若の精にして、初冠は業平、唐衣は二条の后のものだという。なお、業平も本来、極楽の歌舞の菩薩なのだと告げるのだ。そして、
(ワキ)これぞすなわち歌舞の菩薩の、
(女)仮に衆生となり平の、
(ワキ)本地寂光の都を出て、
(女)普く済度
(ワキ)利生の
(女)道に、
…と掛けあう中に、草木という非情もまた成仏することが暗示される。

という具合に、仏教との関係が濃厚な筋書きなのでした。
この催し自体からして、奈良・興福寺が進めている2010年の創建1300年に向けた境内整備、とくに中金堂再建を眼目とした勧進事業の一環で開催されています。
そうした背景がありますと、役者が演じて観客が見るというだけの一方的な関係を超えた能の意味が見えてくるような気がします。能はたんに「上演」されるのではなく「奉納」されるものという表現もありますし。今回の演目の内容がそれを反映するかのような構造でもありました。