仏報ウォッチリスト

ここは仏教の最新情報、略して《仏報》の材料をとりあえず放りこんでおく倉庫です。

 オーケンの最新作

正月休みは仏教書以外のものを読もうと思い、手にしたのが、
・『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ
  大江健三郎=著(新潮社 07/11刊)
このところずっと「後期の仕事」「最終の仕事」とおっしゃっている氏の、目下の最新作です。
タイトルはポーの詩の一節から。原典を知らなくてもそれが味わえるよう親切な解説が盛り込まれていますから、恐れることはありません。
しかし今回はいつになく本が薄い。たった218ページしか(?!)ない。近作では破格の短さです。
よって登場人物が少ない。ノーベル賞作家の私(Kenzaburo)と、旧知の映画プロデューサー木守と、女優サクラさんの3人。あとは作家の親族のおなじみな面々。
この3人が30年前に映画を作ろうとして中断し、現在また新たな切り口でそれを実現させようとする。シナリオ担当である語り手は、今や新たな手法をものにして台本を書き上げつつある……。
つまり、映画自体は最終ページまで完成をみないものの、読み終えたときに映画1作品を見終えたような充実感を味わえれば、本作の意図を汲めたことになるのでしょう。私はおおいに楽しめました。
〈私は小説の原稿について、編集者から意味のあいまいさや語句の重複を指摘されることこそしばしばだが、これだけ実際的な書き換えを要求されることはなかった。それも今度の場合、要請はひたすら「短かくする」ことのみを求めている!〉
〈行なわれること自体はフィクションでも、伝承のある場所に置くとしっくりする、それがあの作家の物語の技法だ、と木守さんに教わりました。〉
原作をみずからのテーマに沿って書き換えるシナリオライター。演技のみならず自身の生い立ちにもとづく思い入れから積極的に作品内容に介入する元少女スター。その両者と国際的な撮影スタッフとの調整に奔走するプロデューサー。この3者のパワーバランスが揺らぐところに物語が生じる。クライマックスとして京都のホテルの一室に3人で泊まるシーンと、鎌倉でのアナベル・リイ映画上映会の場面とが描かれます。
映画製作現場という設定と、「サクラ」という名が結びついて思い浮かぶのが、『男はつらいよ』でしょう。その連想であえて言いますと、一連の大江作品っていうのは案外この「寅さんシリーズ」に似たところがあるんじゃないかしら。
車寅次郎が放浪の旅の節目に帰る所として生まれ育った葛飾・柴又があるように、大江健三郎作品の主人公には四国の森(愛媛・内子町)がある。往年のファンにとっては説明不要の懐かしい風景です。
それと、大江小説では、壮大な企てが頓挫するというのがお決まりの成り行き。それは寅さんの恋が絶対に成就しないというお約束と相通ずるところがあります。
そんな共通点を象徴するかのように同小説のラストは、映画の発展形としての芝居が女性だけを対象に公演されることになり、そこに招かれない作家とプロデューサーがしみじみと会話を交わす、まさに男はつらいよとつぶやきたくなるようなシーンでしめくくられます。
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なお、やや強引ではありますが当ブログのテーマに引きつけて一つ付け加えれば、同作品内には仏教に関わる記述が1カ所だけあります。
〈私は、自分の地方で維新前後に起った二度の百姓一揆に舞台を移して、時代劇映画のシナリオを書こうとしているんですが、その全体の分岐点に、藩主やその腹心たちに尊敬されているし、農民たちにも信頼されている高僧と、一揆の指導者との、対話のシーンを置きたい、と思います。〉
という映画シナリオの構想がそれ。これ以上深くは言及されていないものの、ここは原作(クライスト著『ミヒャエル・コールハースの運命』)ではルターが受け持つ役どころ。「高僧」に誰か実際にモデルがいるかどうかは不明ですが、この着想が今後新たな形で具体化することを期待して、ここに特記しておきます。