仏報ウォッチリスト

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 東北と舎利を見た

台東薪能を見ました。あいにくの天候で会場は当初予定の浅草寺境内でなく、屋内の浅草公会堂に変更して開催。こちらのほうがたぶん声がよく通るし、座り心地も良いし、かえって良かったですわ。
まず、お能『東北』。トウボクと濁って読み、舞台は東北地方ではなくて、京都の東北院。旅の僧が境内の和泉式部という名の梅の木を愛でていると、当人が現れる。僧が法華経譬喩品を読誦するのを聞いて、「あらありがたい」と喜びつつ、「わたしもかつて〈門(かど)の外(ほか)法(のり)の車の音(おと)聞けばわれも火宅(かたく)を出(い)でにけるかな〉と詠んだのよ」と語り出す。和泉式部はこの歌を作ったおかげで三界を去って歌舞の菩薩になったのだと。かように、法華経功徳を賞賛するのが主眼、あの恋多き女性さえもという含みをもたせて。
 地謡
  …澗底(かんてい)の松の風、
  一声(いっせい)の秋をもよほして、
  上求菩提(じょうぐぼだい)の機を見せ、
  池水(ちすい)に映る月影は、
  下化衆生(げけしゅじょう)の相(そう)を得たり。
(…谷から吹き上げるこの風は、秋の到来を告げながら、上に向かって菩提を求める機縁を示し、池の水面に映る月光は、仏が下りてきて衆生を教化する姿である)
    ・  ・  ・
つづいて、狂言をはさんで、お能『舎利』。かつて釈尊入滅後にそのお骨(=仏舎利)を足疾鬼(そくしつき)が奪い去り、守護神韋駄天(いだてん)が追いかけて取り返したという故事があり、その設定をそっくり京都・泉涌寺に舞台を移して再現する。まあ文字通りのオニゴッコですね。
ところで、足疾鬼が仏舎利を欲しがるのは何のためだったのでしょうか。たんなるいたずらか、いやがらせか。そこに信仰のきざしはないのでしょうか。もちろん盗みはいけません、が、なにか改悛のきっかけくらい与えてあげればとも思うのですけど、物語は鬼を泣く泣く退散させて終わり。あの和泉式部でさえ……との思いがよみがえる意味深なカップリングでした。