仏報ウォッチリスト

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 「班女」を見た

先日、国立能楽堂お能「班女(はんじょ)」を見ました。遊女の花子が恋しさあまり物狂になり、さまよい歩いたすえに恋人と再会するお話。
展開は単純。冒頭の5分(時計で測ったわけではなく推定)で遊女が宿から追い出されるくだりを見せ、最後の5分(推定)で手に持つ扇をきっかけに吉田少将が名乗り出て再会を果たします。
で、その間の動かない物語をどう見せるかがお能らしさなのでしょう。難解な古今の詩句を次々と引用して現実離れした世界に誘います。そもそも花子のあだ名である班女というのも中国の故事に由来するとか。漢詩や漢文はあらかじめ予習しておかないとまったくお手上げです。「翠帳紅閨」なんて字面をみると色っぽいのですが、台詞で聞いただけでは分かるはずありません。
宗教的な詞章というと、
地謡「心だに、誠の道に叶ひなば、誠の道に叶ひなば、祈らずとても、神や守らん我等まで、真如の月は曇らじを、知らで程経し人心、衣の珠はありながら、恨みありやともすれば、なほ同じ世と祈るなり」
衣の珠はすでに手中にある宝、つまりここでは相思相愛。法華経にあるこの譬喩で裏見から恨みを引き出し、本来ならば来世をこそ祈るべきに、なにかといえばこの世での巡り会いを願っている、と。
全編を象徴するのが「秋の扇」。どこかゆかしい響きです。まったく無用の長物という意味で冬扇という言葉もありますが、そこまでいっては身も蓋もない感じ。どこか盛夏の名残を引きずりつつ、狂気一辺倒にならない風情が絶妙でした。