仏報ウォッチリスト

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お能「清経」「姨捨」

2023年10月9日、宝生能楽堂「第23回鵜澤久の会」で、「清経」と「姨捨」を見ました。

お能「清経」、夫婦喧嘩の話だけど夫がすでに死んでいるというシュールな設定。ワキは遺髪を届けるだけで退場。討ち死にならまだしも自殺とはと妻は嘆く。妻はツレに当たるそうですが、パンフレットではシテと表記されています。つまり後半はシテとシテとの応酬。旦那は死ぬ間際に十念をとなえたから極楽往生したという。
「…無明も法性も乱るる敵(かたき) 打つは波引くは潮(うしお) 西海四海の因果を見せて これまでなれやまことは最期の 十念乱れぬ御法の船に 頼みしままに疑ひもなく げにも心はきよつねが げにも心は清経が 仏果を得しこそありがたけれ」

お能姨捨」、信濃の観光案内であり、姨捨伝説が主題なのですが、そういう風習があったというのではなく、あくまで一回限りの事件として描かれる。山に捨てられた老婆はその寂しさを訴えるが、どうやら恨んでいるわけでもないらしい。だからワキの役割はお決まりの旅の僧による鎮魂ではない。ワキはただ名月を愛でるのが目的ゆえ、旅の者3人は夜が白々と明けてくるとすたすたと帰ってしまう。それが寂しさを一層募らせる。序の舞のなかで、老婆がぺたんと座り込んでしまう所作がある。扇を開いてしっかり持っているから、力尽きたわけではない。終盤にも同じ姿勢をとると、「姥捨山にぞなりにけり」の地謡。人が消えて山だけの光景を詠っているのだろうが、老婆が山になったとも受け取れる。老婆の救いは、育てた息子に山に捨てられた時に石を阿弥陀仏と思って拝んでいた。その祈りが通じて、阿弥陀如来の脇侍で月の象徴でもある勢至菩薩に導かれて往生したという。めでたしめでたしといっていいのだろうか。
「…諸仏のおん誓ひ いづれ勝劣なけれども 超世の悲願あまねき影 弥陀光明に如くはなし さるほどに 三光(=日月星)西に行くことは 衆生をして西方に勧め入れんがためとかや 月はかの如来の 右の脇侍として 有縁をことに導き 重き罪を軽んずる 無上の力を得るゆゑに 大勢至とは号すとか …光も影もおし並めて 到らぬ隈もなければ 無辺光とは名づけたり しかれども雲月の ある時は影満ち またある時は影欠くる 有為転変の世の中の 定めのなきを示すなり…」

余談ですけど、終演が6時と予告されていながら、1時間近く延びました。別に急ぐ予定もなかったのでかまわないのですが、周辺の席がそわそわして落ち着かないのには参りました。次がある人にとっては必要な行動なのでしょうが、とばっちりで集中をそがれて残念です。せめて最後の演目の開始前に、終演の見込み時間をアナウンスしてくれていたらよかったのに。携帯の電源を切ってくれではなくて。