仏報ウォッチリスト

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 妙心寺展を見た

東京国立博物館で特別展「妙心寺」(3/1まで)を見ました。
毎度のことながら、禅寺の展覧会というのはどうも紹介しづらいですねえ。というのは、お寺側が見せたいと考えるものと、我々が興味を持つものとが必ずしも合致しないからです。なにしろ寺宝の展示なのに仏像が一つもない…。
お寺の名を冠した企画ですから、まずは創建のいきさつや代々の住職を解説されるのは当然です。けれども妙心寺初代住持の関山慧玄〔かんざんえげん〕からして、みずからの遺志で語録や肖像を残さなかった(これを没蹤跡〔もっしょうせき〕と言う)のですから、これではどだい無理というものです。
しかし無理とばかり言ってはおれませんので、なんとか切り口を探してみます。


観覧者が無条件に面白いと思えるのはきっと、白隠慧鶴〔はくいんえかく〕の豪快な達磨図や自画像でしょう。ところが、白隠禅師は妙心寺の法統を継ぐ者とはいえ、同寺に住したわけではありません。出陳品も妙心寺所蔵ではないもので、扱いは遠慮がち。
白隠さんは全8章立ての展覧会場のうち第7章に登場します。ここを起点に遡ってみますと、まず白隠を悟りに導いた師が飯山の道鏡慧端〔どうきょうえたん〕。正受〔しょうじゅ〕老人とも呼ばれるこの人の遺偈が出品されており、内容は「末後の一句、死は急にして道〔い〕い難く、無言の言を言として、道〔い〕わず道わず」(原文は送り仮名なし)と、いかにも人を喰っています。
その正受老人の師が、至道無難〔しどうむなん(会場表記による)〕。五十をすぎて出家した人で、仮名法語が有名。「生きながら死人となりてなりはてて思いのままにするわざぞよき」という歌がよく知られており、展示品には「……いきながら死人に成事也」の文字があります。
ほかに特筆すべき人は、系統がちょっとずれますが、雲居希膺〔うんごきよう〕。念仏禅を説いた人で、墨蹟にも阿弥陀や往生という字が見えます。
もう一人、雲居希膺の4代前が甲州恵林寺の快川紹喜〔かいせんじょうき〕。「心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と言ってみずから焼け死んだ人ですが、そんな剛胆なことをしそうにはみえない端正な筆跡が見どころ。


――というわけで、こうして個々の人物に注目し、エピソードなどとともに書画を味わってみる、というのはいかがでしょうか。ほかにも魅力的な方々がいらっしゃいます。四字熟語集みたいに難解な僧名の羅列から、ぜひ禅の奥深さを見つけてください。