仏報ウォッチリスト

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 「文字の力」を見た

出光美術館で、展覧会「文字の力・書のチカラ 古典と現代の対話」を見ました。
仙崖さんの「般若心経」に見とれました。巻物仕立ての天地30センチの紙に1行5字ないし7字の大ぶりな行書、しかも行間がたっぷりとってあるから左右約5メートル半と思いのほか長い。薄墨を用いて、墨を足したときに生じる濃淡が見事なリズムを刻んでいます。時を忘れて見入るうちに閉館時間、なので図録を買ってきて今ながめているのですが、うーん、やっぱり現物でないと、印刷じゃあ全然ダメだなあ。(仙崖のガイは正式には崖の山がない表記)。
さて、会場に入って矢印の通りに進むと、ガラス面にこう大書してあります。
 「パッと見て/わかった気分の書の姿/読んだとたんに消える印象」
うわ、キビシイー。生半可な鑑賞姿勢が見透かされています。たとえば連綿の変体仮名で書かれた和歌を前に、一文字ずつたどって単語が読み取れただけで満足すると、もう流麗な構成は目に入らなくなる。そういう愚への戒めでしょう。だから、お坊さんの書だけピックアップしようなんて私の態度もまた当展ではまったく邪道ですので、これ以下では封印します。
はじめに並ぶのが大字の作品。看板と説明、あるいは見出しと本文、そういう強調と抑制の表現が書き手の思うままにできるのが書の魅力。それにひきかえキーボードで打つ文字が頼みもしないのに一律に整っていることの不自然さを思いました。
つづいて扁額。お寺の入口に掲げる横長の表札など。見せる書というのはこういうところから発展したのだと分かります。本来は縦に続く漢字を横に並べるせいで封じられた勢いをどこに振り替えるかが見どころ。
そして、真打ちともいうべき一行書のセクション。経典の名句などを一気呵成に。読むか読まぬか、読めるか読めないか、読む前に味わうか読んだ上でさらに味わえるか。作品に挑まれている感じ。
これにつづくのが、般若心経のコーナー。伝空海「隅寺心経」、池大雅「般若心経観音図」、小杉放菴「般若心経梅図」、仙崖義梵「般若心経観音図」、仙崖義梵「般若心経」。ナイスチョイスです。
このあと仮名の部屋なのですが、あいにく時間切れ。あ、国宝の古筆手鑑「見努世友」は、伝空海「鼠跡心経(コロコロ心経)」のページが開かれています。
新旧作品を比較して見せるなど企画者の意図が色濃く出た展示構成。その先導にうまく乗れると大きな収穫があります。私はとても面白かった。ぜひ続編を。