出光美術館で展覧会「古筆手鑑 国宝『見努世友』と『藻塩草』」を見ました。
手鑑とは歌集や経文の断片を集めて貼り付けたスクラップブックで、うまい字や美しい紙を鑑賞するため江戸時代に作られました。世に三大手鑑と言われる『見努世友』(出光美術館蔵)、『藻塩草』(京都国立博物館蔵)、『翰墨城』(MOA美術館蔵)のうちの2つが一緒に見られるというビッグな企画です。
好事家が注目するのはひとえに平安期の仮名文字だそうで、両手鑑もそれぞれ20点近くあるこの部分が見どころだといいます。でも実はこれをしのぐ24点もの仮名作品を収めた手鑑『谷水帖』(逸翁美術館蔵)が会場の奥に展示されているというのが本展の隠し球。従来の手鑑を再編して夢のようなこの手鑑を作り上げたのは、かの益田鈍翁だとか。
仮名作品のこまやかな筆跡はいずれも優雅で見飽きません。ただ、個人的に関心のある写経の断片などは添え物だったのかと思うと、ちょっと残念な気もします。
会場で古筆手鑑について学ぶうちに、さらにショックなことを教えられました。古筆には鑑定家がそれぞれの筆者を特定して極め札が付けられています。その名前はたいてい伝称筆者で、「伝何々天皇」などと説明パネルには記されています。この「伝」というのを、これまで私は、おそらく本人の直筆に間違いないのだけど確証がないから断定はできない、という意味で受けとめていました。しかし本展の解説によると、〈“伝称筆者はその古筆の、本当の筆者ではない”というのが、古筆を見る時の約束事〉だというのです。
では鑑定家は何を見極めたのかというと、〈個々の古筆切の書風や料紙の様子等から勘案して、その古筆に最もふさわしい歴史上の人物を当てたもの〉だから〈平安時代、鎌倉時代といった大まかな区分は合っています。また、伝称筆者はその古筆切の雰囲気や格と釣り合っています〉とのことです(引用文はいずれも当展図録の別府節子学芸員の解説から抜粋)。
今回の作品の中でも、聖徳太子や聖武天皇はともかくとして、西行とか重源とか蓮生といったお坊さんの名前を見つけては興奮していたのですが、それはまったく見方が間違っていたと。そう諭していただいて、むしろすがすがしい気分であります。
古筆手鑑は冊子形式なだけに、公開時はガラスケースの中で横に寝かせて広げるしかありません。つまり掛け軸のように鑑賞者が正面から相対することができず、斜めに見下ろすしかないのが、この作品の宿命です。じっくり見るには鮮明な図録のほうが向いているということもついでに記しておきます。