仏報ウォッチリスト

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 解脱上人貞慶展

神奈川県立金沢文庫で御遠忌800年記念特別展「解脱上人貞慶(げだつしょうにん・じょうけい) 鎌倉仏教の本流」を見ました。貞慶ゆかりの品々でその生涯と没後の影響をたどる画期的な企画です。
奈良国立博物館からの巡回展で、奈良展の宣伝コピーは「ストイックでアクティブ」でした。貞慶さんはまさにそういう人。興福寺の僧侶として活躍し、のちに笠置寺へ、さらに海住山寺へと移住。そのたびに信仰の対象が少しずつ変わり、興福寺では釈迦如来と春日明神を、笠置寺では弥勒菩薩を、海住山寺では観音菩薩を信奉。会場ではこれらを絵画や彫像で紹介してゆきます。鎌倉新仏教の祖師方が唯一の修法を選択していったのに比べ、なんでもござれの対照的な姿勢です。
貞慶は法要で読み上げる文書を次々と作った学僧でした。今なお使われる講式の書跡が南都の寺々から出品されています。そして、お寺の修繕費用を集めて回った勧進僧でもありました。勧進の成果は海住山寺五重塔(展示は初層内陣扉絵)などが現存しています。
貞慶のエピソードとして「第六住心見聞」という古文書には、消えかかった炉の火に薪を寄せるとまた火が起こったのを見て、興福寺から笠置寺への移住を決意したとあります。いわゆる隠遁などではなかったことが見てとれます。
ご本人を偲ぶ展示品としては、解脱上人所用と伝えられる袈裟と鉢が出陳。興福寺が保管してきたものですから〈寺を出た後も貞慶が重要視されたことがわかる〉という解説に納得。貞慶の念持仏だった可能性があるというのが「海住山寺十一面観音立像」。そして貞慶の筆跡とされる書面が「海住山寺修正神名帳」。展示物の中で自筆と特定されているのはこれだけのようです。
展示品には金沢文庫が管理する古文書類(称名寺聖教)が数多くあります。奈良で活躍したお坊さんの業績を裏付ける史料がここ関東の地にあるというのも、再認識しておくべき事実です。
展示替え前ぎりぎりに伺うことができました。会期後半はだいぶ入れ替わるようで、全貌を知るには再訪しなければならないようです。