三井記念美術館で特別展「日本美術にみる橋ものがたり 天橋立から日本橋まで」を見ました。
会場のすぐそばにある日本橋の架橋100年記念ということで、橋の描かれた浮世絵や山水画、茶碗や硯箱などを集めた橋づくしのユニークな展覧会。改めて注目すると、なかなか興味深い題材です。
7つある展示室のうち4番目のテーマが「神仏の橋、名所・文学の橋」。前者は聖俗の境界としての橋です。以下このセクションからいくつかメモ。
- 「天橋立図」イザナギノミコトが天に通うために作った橋が寝ている間に倒れて天橋立になったといわれる。
- 「二河白道図」橋ではないがこの世から浄土へ渡る架け橋。清浄光寺所蔵の当図にはこの比喩を説いた善導が描かれている。
- 「東照社縁起絵巻」日光の大谷川に架かる神橋は聖域に渡る橋であるとともに神仏が渡る橋。
- 「清水寺参詣曼荼羅」右下に狩猟に訪れた田村麿が延鎮と出会う場面、これがやがて清水寺の草創につながる。
- 「山崎架橋図」道昭の架橋した橋の柱が残るのを見た行基が発願し架橋。
他に圧巻だったのが最後の展示室にあった「京都名所図屏風」。六曲一双の画面の8割くらいは金雲と金霞で埋め尽くされ、ぽつぽつあいた隙間から八坂神社や知恩院などの社寺の屋根、そして鴨川に架かる橋が見えます。大胆なデザインの屏風絵でした。
◆
移動して、ブリヂストン美術館で特別展「没後100年 青木繁展 よみがえる神話と芸術」を見ました。
28歳で夭折した洋画家の代表作からデッサンや下書き、手紙に至るまでを丁寧にたどる回顧展。未完の傑作「海の幸」も海岸風景を描いた作品群に囲まれて落ち着き所を得た感じです。
孤高なイメージがあったせいか、妻・福田たねとの合作だとか我が子をアップで描いた作品などを見ると、なんだかホッとさせられます。書簡の中に熊谷守一宛というのがあり、2人が同世代であることを知りました。
宗教的・神話的なモチーフがそこかしこに。古事記に取材した「大穴牟知命」「わだつみのいろこの宮」はつとに有名ですが、「旧約聖書物語下絵」という一連の挿絵もありました。
本展の中で気になる1点は「光明皇后」。茫洋とした横長の画面に朱の柱が立ち、壁面がなく背景の山々が彼方に見えます。左寄りに立つ横向きの大柄な人物が皇后でしょうか、右側に僧侶らしき後ろ姿、人物の視線の先に香炉か何かが据えられています。中央に羽を広げた孔雀がいて、「天平時代」の白鳥と呼応しているかのよう。儀式の最中なのか、緊張感の漂う作品。解説によると光明皇后と鳥仏師を描いたと本人が述べているという。両者は時代が若干ずれている気がしますけど、だとすれば祭壇上にあるのは仏像なのでしょうか。
紙片のスケッチが迫力ある大作に勝るとも劣らぬ魅力を放っている、そんな作家の才能を余すところなく伝える展示でした。