仏報ウォッチリスト

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 竹生島・隅田川

宝生能楽堂で、お能竹生島」を見ました。竹生島弁才天と琵琶湖の龍神が舞い舞い踊る。それを目撃することになる大臣が、龍神(漁師姿)および弁才天(女姿)と一緒に舟で島に渡るという趣向が面白いと思います。「女人禁制ではないんですか」「いいんです。なぜなら実は弁才天ですから」。
弁才天は「九生如来」の御再誕とみずから名乗ります。手元の資料では流派によって「九成」と漢字を当て、久遠実成の略で「久成」という説もあるといいます。
終盤には、弁才天も龍神も、ともに仏の仮の姿だと明かされます。
地謡「もとより衆生、済度の誓ひ、さまざまなれば、あるいは天女の、形を現じ、有縁の衆生の、諸願を叶へ、または下界の、龍神となつて、国家を鎮め、誓ひをあらはし…」
まことにめでたいご当地物のお話です。


つづいて、お能「隅田川」を見ました。これまでも見ている物狂能の一変形、と思っていたら、ずいぶん印象が違います。観世元雅の作だからというのもありましょうが、やはり悲劇のまま終わるという構成によるところが大きいと思います。
さらわれた子を追って東国に着いた狂女。舞台である隅田川に舞い飛ぶ伊勢物語の都鳥。おりしも大念仏会の真っ最中。法会の目的が一年前に死んだ我が子を弔うためと知る。その絶望たるや。ともに念仏をとなえる。と、息子の声が聞こえ、その姿が幻のように現れる。
会えてけじめがつくというのがこれまで見てきたパターン。ところがこの作品では無常観が増し、南無阿弥陀仏の声が響くばかり。
地謡「残りても、かひあるべきは空しくて、かひあるべきは空しくて、あるはかひなき帚木の、見えつ隠れつ面影の、定めなき世の習ひ。人間憂ひの花盛り、無常の嵐音添ひ、生死長夜の月の影、不定の雲覆へり。げに目の前の憂き世かな、げに目の前の憂き世かな」
激しく心揺さぶられました。


舟での移動が印象に残る2曲でした。