仏報ウォッチリスト

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 「祇王」を見た

国立能楽堂お能祇王」(ぎおう)を見ました。(「祇」の漢字表記は正しくは「示+氏」)
平家物語に基づく話で、祇王平清盛の寵愛を受ける白拍子の名です。主人公は祇王御前の同僚の仏御前。この名前は出身地名に由来するそうで仏教とは関係なし。いちおう〈名にし負ふ仏神のご感応か〉などという詞章があるものの説得力は弱いです。
この白拍子二人が並んで舞うのが眼目。同じしぐさをするのですが、シンクロナイズドスイミングのようにピタッと揃うのではなく、微妙にずれる。お面を着けているため視界が狭くお互いが見えないのですから当然です。そのブレがごく自然で、なんだか目が離せなくなります。
ところで、この舞を見ているはずの清盛本人は舞台に登場しません。その理由は、プログラム解説によれば、清盛が「あまりに強烈な存在」で中心人物が霞まないように、との配慮らしいです。
その清盛について、同解説にはこうあります。

平清盛は)決まって坊主頭の姿で描かれます。その理由は……清盛は、ある時重病に罹ります。医学未発達の平安時代、まさかの時には仏にすがり延命を願うのが最終手段でしたから、無法な清盛も当時の風習に従い、辞職して髪を剃り僧形となります。この時に受けた法名が「浄海」。幸い病気は全快するものの、一旦出家した身では本当はもう政治に関与できないはずです。が、そんなことは清盛にとってどうでもよいこと。……『平家物語』冒頭直後に清盛は出家しますので、物語全編を通じ清盛=浄海は坊主頭で天下に君臨しているのです。
 ――公演プログラム09年4月号、村上湛解説から(「……」は中略部分)